賤ヶ岳(421M) 3月27日(木) 雨のち晴  単独
前日、2台分のタイヤ交換をさせられたら、デリケートな腰の調子が少し変な気がする。大事をとって低山に変更しようと思い、思い浮かんだのが湖北の賤ヶ岳。豊臣秀吉と柴田勝家との天下分け目の戦い、賤ヶ岳の合戦で舞台になった有名な山だ。よく考えると賤ヶ岳に登ったのは、もう15年以上も前の事でほとんど覚えていない。確か天気も悪く、景色もほとんど見えなかったはず?秀吉の銅像が、銅像(どうぞ)見て!という感じであったのだけは覚えている。
午前10時、余呉湖に着くが、朝降っていた雨も上って青空が見えてくる。ネコヤナギの新芽が目立つ湖の向うには、今から歩く賤ヶ岳が静かに佇んでいる。その山並みに囲まれるように神秘的な雰囲気が漂う余呉湖が、小さいながらも豊富な水を蓄えている。この湖には羽衣天女の伝説がある。この湖畔に天女が舞い下りて、衣を脱いで水浴びを楽しんでいたが、その衣が村人に隠されてしまったため天に帰れなくなったという話。(話は後続くが) 衣を隠したりは絶対しないので、ぜひその光景を見たいものである。(^^ゞ

湖畔の車道の路側帯に車を停め、岩崎山・大岩山遊歩道入口から歩き出す。
尾根まで距離は短いが、急坂で階段の連続で息が切れる。何だか静かだと思ったら、熊鈴を付けるのを忘れていた。それに気付くと急に怖くなってくるからやっぱり繊細だ。ショウジョウバカマの花が咲き出している。

尾根で他の道と合流し、国道並みの道になる。緩やかな道だが、林道に出てがっかりさせられたりもして中川清秀の墓所に寄る。秀吉側の清秀はこの大岩山に陣地があったが、勝家側の佐久間盛政の奇襲攻撃を受けて無念にも全滅。これが賤ヶ岳の合戦の火蓋を切る事になる。大垣にいた秀吉はこれを聞き、急いで戻り総攻撃を仕掛けて大勝する。
道に戻ってすぐに背筋が寒くなるような道標。左50Mぐらい下りた所にそれはあった。別に行かなければいいのだが、人間には怖いもの見たさというのもあるから困ったものである。

道に戻ってさらに行くと、猿ヶ馬場と呼ばれる所に着く。ここは秀吉が盛政を討つ時に指揮を執っていた所で、かなり古い石碑?などがある。・・何だか霊気が漂っているんだなぁ。
(^_^;)
植林地の下からは、里山らしくチェンソーの音などが聞こえてくる。木々の間からは余呉湖や木ノ本の街並みが見え、空はすっかり青一色になっている。ダンコウバイの花が、光を受けて黄金に輝いていて美しい。

山頂に近付くにつれ、平日なのに多くの人と擦れ違うようになる。どうやら大型バスでツアーで来た人達のようである。山頂近くには、ロープウェイがあるので簡単に上れる。静かに楽しめると思っていたが、やはりこの山では無理のようだ。
最後のちょっとした急坂を登り切ると、広々とした賤ヶ岳山頂である。トイレ、ベンチ、展望台ありのフル装備。懐かしい秀吉の銅像がこちらを見つめている。多くの人が休んでいるが、明らかに登山者ではなく・・観光客。それにしても素晴らしい展望だ。北はすぐ下に余呉湖が広がり、行市山や遠方にまだ白い三国岳が望める。東には存在感のある横山岳が大きく横たわっている。少し西に目を移すと、赤坂山や乗鞍岳がまだ白く見える。奥琵琶湖の左には竹生島が。南側の展望台に移動すると、眼下には木ノ本などの街並みが広がり、山本山へと続く山並み、ほとんど雪がなさそうな伊吹山や、霊仙岳が霞んで見える。山頂がこんなに展望が良いとは思っていなかった。大満足。
余呉湖、行市山、三国岳など
奥琵琶湖、遠方には赤坂山など
奥琵琶湖、竹生島など
木ノ本から湖東へと続く街並み、伊吹山、霊仙など
山本山へと続く山並み
山頂では、あまりにも気分がいいのでまったりし過ぎた。独りなので気楽なもんである。反対側からアチラ坂峠へと下る。アチラ坂は、飯浦越えとも呼ばれる古道だ。峠の分枝から余呉湖側へ。広い緩やかな道を下ると、あっという間に国民宿舎余呉湖荘の横から湖畔の道に出る。この道は短くて早かった。

湖畔をのんびりと車へと戻る。これが思ったより遠くて時間が掛かった。湖を眺めながら歩くも、天女さんも誰もいてくれないので飽きてしまった。(^^ゞ 今まで賤ヶ岳って眼中にあまりなかったが、なかなかいい山だった。
  <休憩を含む行程時間>
 大岩山登山口(10時39分) → 中川清秀墓所(11時03分) → 山頂(12時08分〜13時01分)
 → アチラ坂峠(13時14分) → 余呉湖荘(13時31分) → 大岩山登山口14時07分)

 <所在地>
 滋賀県伊香郡余呉町  
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