木ノ芽古道(新保〜木ノ芽峠〜鉢伏山) 12月18日(木) 雪 単独
木ノ芽古道とは、敦賀市新保(宿)から木ノ芽峠(標高628M)を越えて今庄の二ツ屋(宿)とを結ぶ総長6kmの山道で、その歴史は日本書紀にも出てくるほど古く1000年以上、都側から北陸を結ぶ唯一の官道だったらしいです。すなわち・・この道を通らなかったら越前の国には行けなかったという事なんですねぇ。紫式部や木曽義仲、道元禅師、織田信長、豊臣秀吉、近く明治天皇などもこの道を通りました。そしてここは冬は大雪の降る難所!新田義貞軍が凍死をしたり、水戸の天狗党なんかもここで力を使い果たして幕府軍に捕らえられたりと・・数々の悲話が残り、明治20年に東浦に道ができるまで(現国道8号)長く使われてきた道です。

実は私、敦賀にいながらこの道を歩くのは初めてなんです。
と言うのも、実はこの道と平行するような感じで林道がありまして、歩いて行かなくても現存する峠の茶屋や言奈地蔵などなど・・・車で行けちゃうのです。そういう理由もあって歩いてみたいと思いながら・・なかなか行けなかったというか?・・行く気にならなかったというか?・・んでつい最近行く気になった次第です(笑)

今日は夜勤明けでしたが、天気が持ちそうだったので決行しました。気分は紫式部か?水戸黄門か?・・・いやいやカッコよく暴れんぼう将軍のつもりで。。(爆)

9時15分に新保の古道入口。街の方では降ってなかったんですが・・ここに来てミゾレ!(汗)これは峠の方では確実に雪だなぁ・・なんて思いながらカッパを着込んでのフル装備となりました。カッパもスパッツもザックカバーまで青1色!(アホ1色?)ま、いいっか。。(^^ゞ

計算すると峠の茶屋まで約1.7km、鉢伏山(標高762M)まで約2.5kmぐらいかな?入り口からしばらく舗装された道を登って行くと、やがて苔生した岩や石などが点在する古道らしい道になっていきます。傾斜は緩やかで歩きやすく・・・歴史とロマンを感じるには十分です(笑)この道は沢沿いに登って行くので、展望はあまり良くありません。高度を上げるとだんだんとそれが雪道に!(^_^; サク!サク!とした雪の音を立てながら・・少し蹴り込みながら登って行くとやがて「明治天皇御膳水」という場所に着きます。ここは何でも明治天皇が小休憩をされた場所とか?

ここを過ぎるとすぐに昔の石畳が現れ、今でも茶屋が現存する木ノ芽峠に到着です。この付近には何で雪が無いんだろう?この茶屋は、平家の血筋の前川家が先祖代々受け継いでいるらしく・・・今では何十代目にあたるとか?饅頭や団子なんかも食べれるらしいです。でも?・・この茶屋の裏に自家用車が置いてありました(笑)

この茶屋の前には大きな道元禅師の石碑が建てられています。道元禅師が病を治療するため京に向かい、ここで弟子達と別れて京からの使いの人とこの峠を下りて行ったらしいです。これが最後で、道元は二度と永平寺に帰る事はなかったと。。(微泣)

ここから北西約700Mにある鉢伏城跡(鉢伏山)に向かいます。ここは交通の要所だったせいか、近辺に幾つかの城跡が残っています。古道から離れ、道元の石碑の左にある道を登るとすぐに観音丸城跡。ここから雪が少し深くなってきたよう・・15cmぐらいかな?やがて今庄365スキー場のゲレンデに出ます。雪がだんだん本降りになってきて周囲の景色は全く見えません。ここを400M程登った頂上が鉢伏城跡。そんなに急ではないんですが、ゲレンデを登るのは・・ちと辛い。。(--;)

鉢伏城とは、織田信長が越前に入るのを阻止しようとして朝倉が造った出城。この付近にあった城の中でも最大級だったらしいです。今は展望台にもなっているようだけど・・・今日は全くダメ!休憩もせずに来た道を引き返しました。


雪にも恵まれた(笑)短い山行でしたが、歴史を知り・・また感じながら歩くのも味があっていいもんだと思いました。。

            ・・・似合う似合わないは別ですが。。(^_^;




 <行程時間> 
   新保入口 → (50分)木ノ芽峠 → (30分)鉢伏城跡
    → (50分)新保入口
 <登山口>
   福井県敦賀市新保
新保入口
歴史を感じる古道
獣の足跡じゃありません(^^ゞ
明治天皇御膳水
石畳と峠の茶屋
道元禅師の石碑
鉢伏城跡(鉢伏山)
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