木ノ芽古道
木ノ芽古道とは、千年以上も前の書物にも記述されている官道である。分かり易く言えば、敦賀から今庄へ抜ける道で、京の都から北陸へ向う場合、この道をほとんどの人が使ったのだ。今は365スキー場ができ完全に残ってはいないが、敦賀の旧新保宿から峠の間に面影が強く残っている。

姫が何を思ったか歴女街道を走り出したようで、せっかく夜叉ヶ池に来たのならここを案内したかった。

新保の集落を抜け、最初の入口からスタート。峠まで約1.8K、標高差は約300M弱ぐらいだ。今庄へ抜ける木ノ芽トンネルができ、初めの一部分の道が変わっている。

アスファルトの道から古道らしい山道へと変わる。以前は草だらけのイメージがあったが、人の手が入っているようで歩き易い。そういえば、道中の案内板も増えている。



「弘法の爪描き地蔵さん」と書かれているが、記憶には全くない。
(^^ゞ よく見ると苔生した岩の表面に、それらしきものは確認できる。

ここから峠まで0.8Kと書かれていたが、意外に長く感じた。



紫式部がここで詠んだ詩も紹介されている。「十二単で歩いたんやろか?」
(笑) 知らないが、想像するにそれは無理じゃないだろうか。。

休憩に使われたという「腰掛岩」だが、いい雰囲気が出ている。



道は少し急になり、峠が近い事を感じさせてくれる。姫の気分はすっかり紫式部だ!(笑)

右の写真は「明治天皇御前水」で、明治天皇がここ歩いた時に休憩された場所。覗いてみたが、水はほとんど湧いていないようだった。



道は階段から石畳へと変わり、いよいよ峠の茶屋が見えてくる。



2匹の番犬がお出迎え。峠の茶屋には、今も人が住んでいる。前に聞いた話では、五十何代目とか?裏下に林道があるので、車でも来る事ができる(当然だと思う・笑) たまたま住人の方が外にいたのでお会いしたが、歳のわりには顔の色艶がもの凄くいい。「毎日ここでどんな生活をしているのか?」姫はかなり興味津々だった
(笑

茶屋の前には、永平寺を開いた道元禅師の立派な石碑。道元禅師が病を治療するため京に向う時、ここで弟子達と別れた。しかし道元禅師は、再びこの峠を越えて永平寺に戻る事はできなかった(涙?)



せっかくここまで来たので、さらに少し先の言奈地蔵まで足を延ばす。茶屋の少し先からはスキー場のゲレンデを横切るので、古道の面影は全くない。もうこれ以上ケガがないように祈り(笑)、また来た道を引き返した。

古道歩きもまた格別なものがある。今日は池と古道の二つを堪能して、充実度のかなり高い日となった。

 古道入口(13時40分) → 爪描き地蔵(14時00分) → 腰掛け岩(14時10分) → 峠茶屋(14時30分)
  → 言奈地蔵(14時40分) → 峠茶屋(14時55分) → 古道入口(15時30分)  
 休憩時間を含む


 
福井県敦賀市新保    MAP   GPS軌跡





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